この記事の初出はウェブメディア「Z TOKYO(2019年1月にサイト運営終了)」です。同メディア運営会社からの権利譲渡及び取材元からの掲載許諾を受けて当サイトに転載しています。

ポレポレ東中野。アートフィルムを多数上映するこの映画館で、封切り以来連日立ち見を記録した“恋愛映画”がある。とある“山”で暮らす老夫婦、田中寅夫さんとフサコさん、そして2人を支える家族の25年間を追ったドキュメンタリー映画、「ふたりの桃源郷」だ。

舞台は中国山地の奥深く。終戦後、「食べて行くだけのものは、自分たちでつくる」と、決意した若い夫婦は、“電気も水道も通わない山”を自力で切り開き、暮らし始める。昭和22年から14年間、家族での山暮らしを続けていたが、子供の将来を思って昭和36年に大阪へ。寅夫さんは個人タクシーを営み、子どもたちを育て上げた。

普通なら、その後は静かな余生を……というところだが、この老夫婦は違う。若いころに開拓したあの“山”へ戻って、2人暮らしを始めたのだ。ときに寅夫さん65歳、フサコさん60歳。その年齢で、薪割り/農作業/野草狩りなどを行うのだから驚きだが、結局2人は老いの兆しが見え始めるまで、約23年間もその暮らしを続ける。

2人っきりの山暮らし――。人生の先輩に言うのもなんだが、相当“ラブラブ”でなければできないことだ。そして、2人はとにかく“ラブラブ”だった(笑)。寝室は、山小屋でなく古いバスの車中。改装されており、大きなベットが置かれていた。「よいしょー」と甲高い声でベットに上ろうとするフサコさんを、先に寝ていた寅夫さんが力強く引き上げる姿は、“新婚夫婦のそれ”であり、見ていて「ごちそうさま」といいたくなるシーンである。

“一生添い遂げる”とは

ネタバラシは避けたいが、どうしても言及したいシーンがある。寅夫さんが亡くなった後、三女夫婦とともにフサコさんが再び“山”を訪れるシーンだ。痴呆が進行していたフサコさんは、寅夫さんが亡くなったという事実を理解していない。だから、「なぜここにおじいさんがいないのだろう?」と、良く通る声で山に向かって叫ぶ。「おじいちゃーん」。生前の寅夫さんなら、山から返事を返す場面だ。もちろん、その答えはない。それでも何度も、「おじいちゃーん」と、フサコさんは繰り返す。茶化すわけではないが、リアルな「ペーター!」「ハイジー!」であり、2人にとっての世界の中心で、愛を叫んだ姿だった。感動的なのはもちろんだが、鳥肌が立つような、すさまじいシーンである。

ナレーションを担当した吉岡秀隆は、この作品を“リアル北の国から”と称し、ジブリの高畑勲は、「ただ、すごい、すごい!と叫んでいました」と語り、ドキュメンタリー映画の鬼才・原一男は、「見る者を幸福感に包んでくれる(中略)他に類をみない傑作」という。

寅夫さんとフサコさんが結婚したのは24歳と19歳の頃。ちょうどいまのZ世代と同じだ。いま隣にいる彼氏・彼女とこの映画を見て、愛の行く先を覗いてみるのも悪くない。断言するが、この映画を見て嫌な顔をするようなヤツとは別れよう(笑)。その恋愛に、70年も先があるとは思えないから……。
映画「ふたりの桃源郷」は、国内の各地で順次上映中。詳しい上映日程は公式サイトで確認してほしい。

ふたりの桃源郷

監督: 佐々木聰
製作指揮: 岩田幸雄
企画: 赤尾嘉文
プロデューサー: 久保和成
キャスト: 田中寅夫、田中フサコ、矢田恵子、矢田安政、西川博江ほか
製作著作: 山口放送

REPORTER

r.c.o.inc.代表。好きな食べ物はナン。好きな女性は飯島愛。好きな言語はJavascript。座右の銘は「もうしょうがない人ねぇ」。