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東急田園都市線と世田谷線が通る、“便利でオシャレな街”として名高い三軒茶屋。不動産会社やメディアが発表する「住みたい街ランキング」にも頻繁にランクインする、世田谷屈指の人気エリアである。地名の由来は、読んで字のごとく。江戸時代中期に流行した丹沢大山詣で賑わった登戸道(現・世田谷通り)と大山道(現・国道246号)の分岐点に、「新楽(しがらき)」「角屋(かどや)」「田中屋(たなかや)」といった三軒の茶屋が存在したことから名付けられた。江戸末期にあたる文化・文政の頃には三軒茶屋の名称が一般的になっていたが、正式に地名として定められたのは、世田谷区が成立した1932年(昭和7年)のこと。意外と最近だと驚く人もいるかもしれない。

「キャロットタワー」をはじめとするビルが建ち並び、最旬のコンテンツやショップが集まる一方、昭和のまま時間が止まったような、趣ある景観が残っているのも、この街の特長と言える。“モダン”な山の手と“レトロ”な下町風情が、絶妙なバランスで混在しているのだ。商店街やスーパーといった商業施設も充実しているし、電車に乗ればたったの数分で渋谷へ行ける好立地。一人暮らし、ファミリーを問わず、生活に不便のない環境だ。その人気ぶりにも納得がいく。

ヤミ市から発展したデルタ地帯

三軒茶屋には、世田谷通りと国道246号に挟まれた一角に、とあるディープスポットが存在する。その名も“三角地帯”。「エコー仲見世商店街」や「ゆうらく通り」、「三茶三番街」といった通りが平行するこのスポットは、戦後に発展した“ヤミ市”の名残を今も留めるデルタ地帯である。迷路さながらに入り組んだ路地には、赤提灯の老舗居酒屋から若い経営者による新店まで、小さいながらも個性的な飲食店が軒を連ねている。夜の帳が下りれば、この場所はノスタルジックな異空間へ……。狭い店内で酔客同士が肩を寄せ合い、朝方まで語り合うことも日常茶飯事だ。飲ん兵衛を魅了して止まないこの場所は、なんだか飛行機や船の遭難が多発する“バミューダトライアングル”を彷彿させる。とにもかくにも味わい深く、ノスタルジックな空気に酔える場所なのだ。

戦後復興と三角地帯

前述の通り、三角地帯の原型となったのは疎開地のヤミ市だ。その成り立ちを紐解いてみよう。

時はさかのぼること1945年。終戦直前の5月24日~25日にかけ、三軒茶屋や太子堂町は、焼夷弾攻撃の標的となった。一帯は全焼したが、玉川電車の乗り換え駅として重要なエリアだったことから、三軒茶屋交差点付近には疎開地が広がったという。戦災を逃れてほうぼうに散っていた人々が集まると、焼け跡にヨシズ張りの商店が建ち始める。はじめは数軒だけだったが、その数は徐々に増加。やがて、世田谷区内でも特に規模の大きなヤミ市に成長したそうだ。詩人の三好達治が1950年に発表した散歩エッセイ「東京雑記」には、メリヤス雑貨店/文房具店/金物店/蓄音機屋/ビアホールetc. 当時のヤミ市に、さまざまな業種が揃っていたことが記されている。終戦からわずか数年でこの発展ぶり。戦後復興を支えた先人たちの苦労と努力に、頭が下がる思いだ。

「エコー仲見世」にアーケードが作られて商店街となったのも、ほぼ同時期のこと。はじめは買い物客が殺到してアーケードを抜けられぬほどの盛況ぶりだったというが、それも長くは続かなかった。転機は1964年の東京オリンピック。駒沢競技場の建築と、それにともなう国道246号の拡幅、東急玉川線の廃止などの影響で、人の流れが大きく変化したのだ。「エコー仲見世」に衣料・日用雑貨などを求める人の数は減ったが、多くの建設労働者が三軒茶屋周辺へ流入したことで、飲食店や居酒屋への需要は増えた。路幅拡張により移転を余儀なくされた飲食店が、現在の「ゆうらく街」や「三茶三番街」で営業を再開したことも、今の三角地帯を形作った理由に挙げられる。それから約半世紀。昭和の猥雑な空気を保ったまま、今日も三角地帯は存在している。

三角地帯は“はしご酒”が基本!?

この一帯を堪能するなら、「ちょいと一軒」だけで済ませるのは味気ない。1~2杯飲んだら次へ、ジプシーのごとく店々を放浪するのが吉である。そこで今回は、よりディープに三角地帯を楽しむ極意を学ぶべく、三角地帯でミュージックバー「霧の中の風景」を経営する西田さん&店長の山崎さんに協力を依頼。三軒茶屋&三角地帯についての話を聞きつつ、“はしご酒”に同行させていただいた。

筆者とカメラマンが三角地帯に到着したのは18時。街が薄闇に包まれはじめた頃合いで、飲食店の灯りはまばらだった。横丁が活気に包まれるのは、もう少し夜が更けてからだろう。「霧の中の風景」も、当然オープン前である。店の前でしばらく待っていると、チェスターコートにハットを合わせた姿の西田さんが現れた。三角地帯のディープな景観も相まって、明らかに只者ではない雰囲気を放っている。隙のない出で立ちにもかかわらず、どこか渥美清の寅さん風な人情味あふれる、不思議な雰囲気を持った人物だ。少し遅れて到着した山崎さんは、一見強面なルックスに反して、フレンドリーな物腰が印象的だった。DJやバンドマンとしても活動する無類の音楽好きで、ズバ抜けた接客&音楽的センスに西田さんも全幅の信頼を寄せているという。メンバーが揃ったところで、早速出発……と、いきたいところだが、飲み屋へ繰り出すには少し時間が早い。ひとまず「霧の中の風景」で、話を聞きながら待たせてもらうことにした。

“秘密基地”のような音楽酒場

店内に足を踏み入れると、そこはまるで別世界。6~7人も入ると満員になりそうな店内には、無数の酒瓶や多彩なジャンルのレコード、一世を風靡した女優たちのヌード写真集など、二人のこだわりアイテムがズラリと並ぶ。“男子の憧れ”をテンコ盛りにした店内には、幼い頃に誰もが憧れた“秘密基地”を彷彿させる雰囲気が漂っていた。

なんとも不思議な店名は、下高井戸にある「恋々風塵(れんれんふうじん)」や、下北沢の「ニーチェの馬」といった系列店と同じく、映画のタイトルが由来だという。「店の名前らしくない店名にしたくて、いつも映画の題名から名前を頂戴します。“音楽×お酒”というコンセプトとロケーションに合う映画が、直感的に『霧の中の風景』だったんです」と、西田さんは語った。インパクトのある名前が功を奏したのか、今では“キリナカ”の呼び名で親しまれるようになったそうだ。

ジン/カンパリ/コアントロー入りのオリジナルカクテル「キリナカ」や、元はっぴいえんどの大瀧詠一から着想を得たという「ナイアガラ」ほか、充実のドリンクメニューにも注目である。中でも人気No.1は、コアントローを加えて柑橘の香りに奥行きを出した「レモンサワー」なのだとか。ノーチャージ制で1杯500円と、リーズナブルな価格設定も嬉しい。

渋谷から移転した隠れ家的DJバー

1966年施工の三元ビル5Fに位置する「32016」は、店主の名にちなんで「梅バー」と呼ばれる隠れ家的DJバー。筆者が到着したときは、雑居ビルの一室にもかかわらず、爆音でカールトン・アンド・ザ・シューズの軽快なレゲエ・チューンが流れていた。音はかなり良好。コアな音楽好きでも、しっかり満足できるはずだ。注目すべきは、フロアの大部分を占める“畳”だろう。踊り疲れたら、畳で休憩してもOKらしい(笑)。ベランダから三角地帯が一望できる点も見逃せない。「霧の中の風景」に負けず劣らず、こちらも非日常を存分に感じられる“異空間”となっている。

自作のブラック・サバスTシャツが似合う店長の堀内さんは、2つ結びの三つ編みがチャームポイント。お店について尋ねると、「もともと渋谷の裏通りにある雑居ビルで8年ほど営業していたのですが、再開発の影響で立ち退きすることに。系列店の居酒屋があったこの場所へ2015年10月に移動してきました」と語ってくれた。フロアに畳があるのは、これが理由らしい。このスペースをライブステージ代わりにすることもあるそうだ。

渋谷と三軒茶屋を比較すると「三軒茶屋のほうが、“町内会”っぽい密なコミュニケーションがある」とも、堀内さんは話していた。都会的な渋谷で培ったノウハウを下町風情が残る三軒茶屋に持ち込み、いい塩梅でカルチャーをミックスするのが理想なのだという。フロアの盛り上がり方から、この試みは見事成功しているように見えた。

素敵なBGMと美味なドリンクでほろ酔いになった後は、西田さんと山崎さんイチオシの“ネオスナック”を紹介してもらうことに。聴き慣れぬ単語だが、なんだか甘美な響きである。一体どんな店なのだろうか?

歌って飲んで盛り上がれる“ネオスナック”

最後に足を運んだ「茶庭」は、若者でも気軽に楽しめる“ネオスナック”。チェーンライトで飾られた店内は明るく、三角地帯初心者の人でも気兼ねなく入店できそうな雰囲気だ。従来のスナックは、はじめに数千円のセット料金を支払うのが一般的だが、ここはチャージ料金300円に1杯5~600円のドリンク代が加算されるシステム。これでカラオケ歌い放題なのだから、かなりお安い。平日の夜から、酔客で大盛り上がりすることも珍しくないという。

店長の高田さんは、爽やかな笑顔が素敵な好青年。女性人気も高そうだ。そんな彼は、三角地帯を“村”に例えていた。「飲み屋さん1軒1軒が家みたいなイメージで、お客さんそれぞれの“ホーム”があるんです。例えば、うちで1杯飲んでくれた常連さんが、“行ってきます!”と他の店へはしごして、数時間後に帰ってきてくれる……みたいなことも頻繁にあります(笑)。ゆったり音楽を聴きたいときは『キリナカ』、踊りたければ『梅バー』、カラオケなら『茶庭』といった具合で、上手く分業できているところも、なんだか“村”みたいだと思います」という話を聞いて、妙に納得してしまった。

高田さんと話し込んでいる最中、一人のお客さんがおもむろにカラオケをスタートした。選曲は、THE 虎舞竜の代表曲「ロード」。哀愁漂うメロディーが「妙に三角地帯にマッチしているなあ……」と、しみじみ感じたものである(笑)。身内同士でカラオケに行っても楽しいが、見知らぬ誰かの歌声や、異なる世代の楽曲を堪能できるのが、“ネオスナック”ならではの魅力だ。歌が上手ければ賞賛を浴びるし、そこから自然とコミュニケーションも生まれる。偶然隣り合わせた男女が意気投合し、見事カップルになることも珍しくないそうだ。店は狭い。でも、人の輪は大きく広がっていく。「我こそは!」という“のど自慢”はもちろん、純粋に友だちが欲しい人も、ぜひお店に足を運んでみてほしい。

飲んで、踊って、歌って、三角地帯をたっぷり満喫。いつの間にか時間は12時前になっていた。真夜中でも、路地を歩く人の数は減らない。むしろ増えているようにも感じた。ここから朝までの時間帯こそ、三角地帯の本領なのかもしれないが……。さすがに終電が危うい。西田さんと山崎さんにお礼を言って、筆者とカメラマンは帰路についた。

消えゆく儚さも、三角地帯の魅力?

個性的な店々に、素敵な酔いどれが集う三角地帯。いつまでも後世に残したい魅惑の一角だが、現実的にそうはいかない。路地や建物の老朽化に加え、防災上の観点からも、このまま状態を保つことは難しいという。この一帯は再開発対象エリアとなっており、再開発が始まったら若い経営者たちも立ち退く必要がある。いつか消えてしまう儚さも、三角地帯の魅力を増幅しているのかもしれない。

今の三角地帯を形作るきっかけとなった1964年の東京オリンピック同様に、2020年の東京オリンピックがこの場所に変化をもたらすことは、間違いないだろう。昭和に置き忘れた“人情”を肌で感じたい人は、できるだけ早いうちに、足を運んでみてほしい。

PHOTOGRAPHER
YOSHIFUMI SHIMIZU