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今やカレー界の“登竜門”的業態となり、次々と人気店が生まれている“間借りカレー”。ファンを増やした末に、独立店へと昇格することも少なくない。
間借りから独立した店舗のモデルケースの一つとして挙げられるのが、新宿ゴールデン街での営業を経て、新宿六丁目へ移転した「SANRASA(サンラサー)」だ。2017年12月の独立から約半年。先着順の予約が連日のように埋まる、押しも押されもせぬ人気店となっている。

というわけで今回は、「SANRASA」を切り盛りする女性店主・有澤まりこさんのもとへ。間借り店から実店舗をオープンさせるに至った経緯やカレーにかける想いを聞いた。

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オフィス街に佇むビルで絶品カレーを堪能

新宿ゴールデン街にある「BAR MIKI(バー ミキ)」での間借り営業からスタートした「SANRASA」。移転先は、都営新宿線 東新宿駅付近のオフィス街だ。ダルバートが評判のネパール料理店「SANSAR(サンサール)」や、新宿ゴールデン街の人気間借り店「エピタフカレー」もそう遠くない。「SANRASA」が加わったことで、カレーファンを引き寄せる“磁場”がこのエリアに生まれつつある。

店が位置するのは、スクウェア・エニックス本社ビル近くにある建物の3階。ポップな書体のロゴがあしらわれた看板が目印だ。

エレベーターで3階に上がり、シャビーな風合いの扉を開けると、そこには木製のバーカウンターが。店内は5~6人も入れば満員になりそうな細長い空間だが、大きな窓から陽が差し込み、明るく開放的な雰囲気だ。空間に光がたっぷり満ちていて、SNS映えするカレーの写真を撮りやすそう。“新世代のスタンドカレー”とも言えそうな洒落た場づくりも、人気を集める理由の1つかもしれない。

筆者を含む取材チーム3人を迎えてくれたまりこさんは、“お母ちゃん”感たっぷりの気さくで豪快なお人柄。とにかく明るくパワフルで、話を聞いているだけで、たっぷり元気を分けてもらえる。

「お腹空いてるんでしょ?」と尋ねられた私たちは、“全部乗せ”的な贅沢メニュー「わんぱく(税込1,900円)」を注文。この日は、定番「南インド風チキンキーマカレー」&週替わり「豚バラとたけのこの花椒香るカレー」の2種に加え、人参/れんこん/ほたてなどのウールガイ(南インドの漬物)がたっぷりトッピングされた構成だ。カレーやサラダなどを手際良く皿に盛り付け、バーナーでチーズをサッと炙るまりこさん。その姿にプロの業を感じ、所作をじっくりと眺めてしまった。

毎日でも食べたい。深い学びから生まれる優しい味わい

まりこさんがカレーに興味を持ったのは、料理雑誌「dancyu」(プレジデント社)がきっかけだ。90年代後半に南インドカレー特集を読み、ご飯やカレー、ピクルスが乗せられたバナナリーフのミールスに強く心を惹かれたという。しかし当時は、ミールスを提供している店を発見できなかった。そこで彼女は、「自分で作れば良いじゃん!」というアグレッシブな発想に至る。「ごちそうはバナナの葉の上に 南インド菜食料理紀行」(出帆新社)を愛読していたことから、その著者でありインド料理研究家・渡辺玲さんの料理教室に5年間通い詰めた。

更には、インド・スパイス料理研究家・香取 薫さんの料理教室「キッチンスタジオペイズリー」でも3年ほど修行を経験。野菜と豆を用いたスパイス料理を学べる「ベジタブル&ビーンズコース」や、特別な日に振る舞うための「おもてなし料理コース」などを平行して受講し、最短ルートでプロ向けの「インストラクターコース」を修了した。食材とスパイスを組み合わせるメソッドや、季節、体調、旬を考慮したスパイスとの付き合い方といった “理論”を学んだことで、カレー作りにおける応用力を身に着けたという。
そんな話を聞いているうちに、待望の一皿が完成。「めしあがれ!」のひと言とともに、「わんぱく」がテーブルに置かれた。お言葉に甘えて小皿に取り分け、取材チーム一同でいただいてみると……、言わずもがなその味は絶品! 噛みしめるほどに旨味が広がるのだけど、塩気は控えめでサクサク食べ進められる。チキンと豚バラ肉のおいしさを一層引き立てる、優しいスパイス感も魅力的だ。取材チーム一同、カレーを口に運ぶスプーンが止まらなかった。サービスしていただいた「トマトラッサム」は、酸味のアクセントで「わんぱく」をより特別な一皿へ。口いっぱいに広がる“滋味深さ”に酔いしれながら、ゆるやかにインタビューが始まった。

この日いただいた“全部乗せ”的な贅沢メニューの「わんぱく(税込1,900円)」

店名を付けたことで拓けた開店への道

――「SANRASA」という店名の由来は何ですか?

「SANRASA」の語源は、インドの古代語“サンスクリット語”です。“SAN”はお客さんや様々な味などが“集まる”こと、“RASA”は“味”を指していて、身体を作るエネルギーのうち、根源を司るものという意味があります。「SANRASA」は2つの言葉をかけあわせた造語で、お世話になっているインド哲学の先生に名付けてもらいました。本来の読みは“サンラサ”ですが、サンスクリット語では語尾を伸ばすと女性名詞になります。それが、“サンラサー”という読みになった理由です。ちなみに、荻窪の飲み屋さんでサクッと決まりました(笑)。

――料理教室で長く修業された理由は、「お店を開きたい!」という気持ちが原動力でしたか? また、過去の飲食業界でのご経験についてもお聞かせください。

実は、カレー屋を開く気はありませんでした(笑)。教室に通ったのは純粋な興味からです。修行していた頃は、マクドナルドでマネージャーをしていましたし。高校を卒業してからのアルバイト時代も含めると、マクドナルドでのキャリアは15年ぐらいかな。原材料や冷蔵庫の温度管理といった食品衛生に関する知識や、店をスムーズに回す技術を学べたのが幸いでした。

――ゴールデン街で間借り営業を始めるまでの経緯を教えてください。

インド哲学の世界には、“名前が付いたら物事が動く”という話があります。実際、「SANRASA」という名前を使い始めたら、カレーに関するいろいろなオファーを受けるようになりました。インド哲学の先生が講師を務める、インド神話の女神を紹介する講座での料理提供もその一つです。「女神にちなんだ料理を出してくれない?」と頼まれて、レシピを考えたりね。手から黄金を出す女神がテーマなら、色を合わせてターメリックライスを使う……といった感じでした。以前の間借り先「BAR MIKI」のオーナーさんは、この講座の生徒さん。その縁から依頼をいただいき、間借り営業を始めることになりました。

――依頼された時、どんな心境でしたか?

まぁ、間借りならリスクも少ないし、そんなに大きな失敗はしない……かなって(笑)。まだ、マクドナルドに籍を残していましたし。土日はアルバイト、平日に間借り営業をするという計画でした。

常連客がコンサルタント代わりに

――間借り店オープン当初は、カレー以外のメニューもありましたよね?

そうですね。最初はカレー屋というわけではなくて、ルーロー飯やガパオ、カオマンガイなんかを日替わりで出していました。……でも、カレーを出す木曜日ばかりにお客さんが集まるんですよ。最終的には、「みんなカレーが食べたいんです。まりこさん、カレー屋にしましょう!」と常連さんたちに説得されて、しぶしぶカレー屋になりました(笑)。

――結果的に、その方向転換は大成功ですね。他にも、常連さんたちにアイデアをもらったことがありますか?

カレー2種の「あいがけ」や「わんぱく」に加えて、ウールガイ(南インドのピクルス)もお客さんのアイデアです。食材を日持ちさせるノウハウが分かってきたこともあり、どんどん種類が増えています。狭くても客単価を上げられるメニュー構成ができたのは、お店のことを一緒に考えてくれる方々のおかげです。常連さんたちがお店の“コンサルタント”的な存在になっているのかもしれません。

――間借り店を開業してみて、どんなメリットがあると感じましたか?

ある程度の設備が整っているから、初期投資が少なくて済むのがメリットですよね。とはいえ、間借り先は基本的に夜間営業の飲み屋さんになるので、足りない備品も必ず出てきます。炊飯器やお皿とかですね。「BAR MIKI」はフードが充実しているバーなので融通が利きましたが、ドリンク中心のお店だと、それなりの初期投資が必要かもしれません。

――デメリットについてはどうですか?

調理設備が充実していないことでしょうね。ガスコンロが一口だけだったり、IHだったりすると困りものです。カレーは加熱必須な食べ物なので、食品衛生的に安全な保管方法を考える必要があります。例えば、細菌の発生を防ぐ65℃以上に保ちながら、煮詰まらないようにするとかね。それを実現するための設備を置けるかは、間借り先に相談する必要があるでしょう。「SANRASA」の場合、炊飯器を間借り先に置かせていただけたのが幸いでした。材料プラス調理器具を持ち運ぶのは、肉体的にも精神的にもキツイですもん。

――間借り時代の経験は、現在のお店づくりにどう活かされていますか?

必要なものが全て手に届く範囲にある、超効率的なキッチンを設計しました。お皿を手に取ってご飯とカレーを盛り、ドレッシングを出して……という、盛り付けから会計まで一連の流れが、スムーズになるようにね。マクドナルド時代は常に素早い提供が求められたので、それが良い訓練になっていたのかもしれません。余裕を持ってお客さんと遊べるよう、心がけています。

――独立店をオープンしようと思った理由は何ですか?

少しずつ、手狭になってきたことが理由かな。間借り先との関係が良くても、間借り営業は長く続けるものじゃないと思うんです。“ホップ・ステップ・ジャンプ”で言うところの、“ホップ”にあたる部分というか。「BAR MIKI」のオーナーさんにはもちろん感謝しているし、間借り時代があったから、今があるんだと思います。“ステップ”のタイミングが自然とやって来たのかもしれませんね。

お客さんと一緒に夢を実現

――実店舗をオープンしてみて、どんなメリットを感じましたか?

備品を持ち帰らなくて良いのが嬉しいです。導入した業務用冷蔵庫は、家庭用より性能が高いから、食材の管理が楽になりました。ロスを出してしまうと、マイナスはお客さんに跳ね返ってしまう。だからこそ、私が上手にコントロールしないとダメです。お店を長く続けるためにもね。

――提供しているカレーの特長や、こだわりのポイントは何ですか?

“食べやすさ”を大切にしています。スパイシーで辛~いカレーを作ろうと思ったこともあるんですけど、私には合わなかったんですよ。あとは、塩の分量にも気をつけていますね。お客さんの健康面を考えて、塩気を強くしすぎないでおいしく仕上がるギリギリのラインを狙うとか。気候に合わせて使うスパイスを変えることもしばしば。だから、同じカレーでも少しずつ変化があります。レシピを書きにくいのが悩みの種ですね(笑)。

――これからの目標や、カレーを通じて実現したいことは何ですか?

最近人に話している目標は、5~6年後に「キユーピー3分クッキング」(日本テレビ系列)へ出演することです。お店を続けながら料理教室の先生もやってみたいし、うちみたいなテイストのカレー屋さんを世の中に増やしたい……なんていう目標もあります。それに、ゆくゆくはレシピ本だって出版してみたい。「SANRASA」と名付けてもらってからは、口にしたことが実現しているんです。ありがたいことに、たくさんの人に手伝っていただきながらね。だからこそ、目標をどんどん公言していきたいと思います。

間借り、流し、独立……。働き方の多様化を反映する間借りカレー

今回取材した「Spice Hut」「and CURRY」、「SANRASA」は人と人との繋がりから生まれ、常連客のコミュニティによって育まれていた。スペースやモノ、スキルなどを共有するシェアリングエコノミーの概念は、日本でも加速度的に一般化しつつある。間借り店は今後も増えていくのだろう。初期投資の安さは何よりの魅力だし、腕試しを望むカレーマニアからすれば、うってつけの業態なのだから。

……同時に気掛かりなのが、“間借り営業は長く続けるべきではない”という、まりこさんの言葉だ。確かに一理ある。間借りである以上、自分でコントロールできない部分が出てくることは間違いない。しかし、長期的に営業を続けるためには、スムーズに料理を提供できる導線の確保や、快適に食材を管理できる設備の導入などが必須だろう。人気店となり、大勢の客が押し寄せるようになれば尚更だ。多くの間借り店主は、店を自分好みにカスタマイズしたいと考えるに違いない。

そんな状況を想像すると、“ヤドカリカレー”という間借りカレーの大阪での別称が頭に浮かぶ。成長したヤドカリが宿替えをするように、知名度を得た間借り店が自由を求めて独立する機会だって、今後増えていくだろう。 “同じ殻”には留まらない、“流しのカレー屋”という手段もある。 間借りカレーにおける業態の多様化は、働き方の選択肢が広がる時代の空気を映しているのかもしれない。

【記事に登場したお店】

PHOTOGRAPHER
NISHIOKA TAKAHARU