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空前の人手不足で売り手市場。総務省が5月に発表した完全失業率は2.2%で、25年7カ月ぶりの低水準になった。

しかし、完全失業率は「働く意欲のある人で職がなく求職活動をしている人」の割合である。つまり、働く意欲すら持てない人々はここに含まれていない。こうした人々を欧米の社会学者は、「ミッシング・ワーカー」と呼んでいる。

6月にNHKが放送したドキュメンタリー番組「ミッシング・ワーカー 働くことをあきらめて…」は衝撃だった。番組によると、40代・50代の「失業者」数は72万人。一方、専門家の推計によれば、「ミッシング・ワーカー」は103万人に上る。

背景には様々な問題が連なっているが、その一つに“独身者たちの介護離職”がある。仮に、両親が突然倒れて、自分に兄弟はおらず、貯えも微々たるもので年金収入も施設に入れられない程度の額だったとしよう。ここに“独身”という要素が加わると、介護離職という選択肢は急速に現実味を帯びる。

まだ両親が生きている間はいい。2人分の年金が家計の収入になるからだ。仮に2人合計で30万円の収入があれば、生活困窮状態にはならないだろう。しかし片方の親が亡くなれば、月収15万円になる。自分と親、2人の家計を15万円でやりくりする。ぎりぎりだ。この状態が長引くほどに、結末は厳しいものとなる。

両親がともに亡くなると、年金収入は当然0円。仮に45歳で離職して、10年間介護を続けていたとしたら……。その時、貯金がいくら残っているだろうか。そして、職歴に乏しく人との繋がりも希薄になった55歳は、再就職できるだろうか。そもそも、求職する意欲が湧くかどうかも危うい。何しろ、家に家族はいないのだ。介護疲れで、趣味を継続できなくなるパターンも多い。この状態で、就労意欲、ひいては生きる意欲をどこに見出せるだろうか。

高齢化が今後も進む現状、誰しもが介護について真剣に、かつ冷静に考えなければならない。目先の困難だけに気を取られていては、すぐ先に待ち構える“ミッシング・ワーカー”の罠に足を取られてしまう。では、介護離職を迫られた時、私たちにはどんな選択肢があるのだろうか。

今年の1月に、「ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由」を上梓した株式会社リクシス副社長、KAIGO LAB編集長の酒井 穣氏に話を聞いた。

「介護を理由にした離職」はあり得ない

――ミッシング・ワーカーに陥るきっかけには“介護離職”の選択があります。どのような条件が揃うと、介護離職を選択してしまうのでしょうか。何か特徴や兆しはありますか?

あくまで個人的な意見ですが、介護が必要になった親に対して、なんらかの後ろめたさがあるかどうかは、介護離職を選択する時の理由の1つに挙げられると思います。つまり、「親に愛されて育った」という体験を持ちつつも「親孝行できていない」といった罪悪感がある人ですね。そこに、仕事の失敗やストレスが重なる……、このパターンが危ないと思います。

会社に勤めていると、誰がやっても到底クリアできないであろう無茶な目標を飲まされるようなことは、よくありますよね。そうした理不尽な目標を拒否できず、頑張ってはみるものの、達成はできないというケースです。評価されない毎日が続いて、精神的にも参ってくるでしょう。ただ、現代社会における企業の競争環境は激化しており、こうした無茶な目標を達成しない限り、企業としても生き残れないことも多く、仕方のない側面もあります。

――仕事の目標が高くなりすぎて、評価される機会を失っていくというのは、40-50代の企業人にありがちな状況とも思えます。

現在の40-50代は、いわゆる団塊Jr.世代を含む人口ボリュームの大きい年代にあたります。厳しいことを言えば、ある一定数は、むしろ辞めてもらった方がよいとさえ、企業からは思われている世代です。人数が多すぎて、ポストの方が足りていないというと伝わりやすいでしょうか。執行役員、部長、課長……、組織が準備できる役職には、どうしても限りがあります。

この世代にある人は、なかなか出世できず、給料も増えないという中で、ちょうど自分のキャリアに天井が見えてくるという年齢でもあります。専門的には「リアリティーショック」といって、数々の夢が実現しないことに向き合って、現実との折り合いが求められる年齢でもあります。実際、会社の中にも居場所がなくなっていきます。なんとかしなければという戦う気持ちも萎えてきて、現実の厳しさに諦めさえ感じ始めているところに、電話がかかってくるわけです。「あなたの親御さんが倒れました」と。

――しかし、そこで思い切りよく会社を辞める選択ができるかどうかは、家族の有無に左右されるとも思います。

パートナーや子どもがいれば、当然すぐには判断できません。現実的な旦那さんや奥さんがいれば、冷静に話し合うことで突発的な介護離職を思いとどまることにも繋がるでしょう。でも、独身の方にはそのブレーキがありません。自分の現実を見れば、キャリアの天井と、厳しくて理不尽な目標があるばかりです。

そんな状態で、例えば、入院中の親を訪ねて、久しぶりに地元へ帰ったとします。そこで、“地域活性化”という美しい名の下、新しいビジネスが生まれていると耳にすることも多くなっています。これなら、理不尽な仕事を離れ、離職して親の介護に数年を割いたとしても、地元のためになる仕事をしながら、なんとか暮らしていけるのではないかと考え始めても仕方がないでしょう。

このようなシチュエーションだと、介護離職も、なんとなく「前向きな選択」にも思えますよね。専門的には適応機制といって、本当は今のキャリアで成功したいのだけれど、それが得られない時、現状を現実以上に否定的に捉えて、別の何かを求めることで発散させたいという心理的な状況になります。

――周りにも説明しやすい理由に思えました。一方で、混乱状態の中、突発的に判断しているようにも思えます。

「厳しい状況から逃げ出したい」という気持ちは、理解できます。混乱の中で誤った判断を下してしまうというのもよく分かります。失恋の直後は、つまらない異性に引っかかりやすいのと、基本的には同じことです。

でも、“介護離職”という重大な判断だけは、安易にはしてほしくないのです。リスクが大きすぎる割に、結果は悲惨なものになることが多いからです。

仮に、親が余命宣告をされてしまったとしても、離職する必要はありません。「介護休業」制度を利用すればいいからです。これは、一定条件を満たした労働者なら申請できる、法律で守られた権利です。合計93日まで取得できる※ので、この制度をうまく使いながら、親との残された時間を大切に過ごすという選択もできます。

※同一の対象家族の要介護状態ごとに1回ずつ、後述の短縮等の措置が講じられた期間と合算して93日まで取得することができる。93日以内であれば3回まで分割して取得することが可能。

介護離職をする前にすべきこと

――まとまった日数で、介護休業を取得できるということすら、知らない人が多いと思います。

“親の介護”という事態に直面するのは、いつも突然です。親が元気な時から、介護についてあらかじめ知識を蓄えている人はほとんどいないでしょう。ですから、知識ゼロの状態で混乱に放り込まれて、周りに相談することもできず、性急に判断を下してしまいがちなのです。

介護休業制度は分かりやすい事例ですが、きちんと知識を蓄えていれば、「自分だけですべてを背負う」という選択が、いかに誤ったものか分かるでしょう。もし介護に対して何かしらの判断をしなければならない時は、とにかく焦らないでください。性急に判断しようとしている時は、「自分は今危ない状態にあるのだ」と考えるべきです。

会社を前向きな理由で辞めるのは良いでしょう。リスクテイクして、新たな生活を築いていこうという決断は、人生の中で時に必要となるものです。しかし原則として、「介護を理由にした離職」はあり得ないと考えてください。繰り返しますが、きちんと行政の手を借りられれば、「介護を理由にした離職」は、その多くが避けられるはずなのです。

――離職理由に「介護」と書き入れようとしているなら、踏みとどまるべきだと。

身寄りのないお年寄りであっても、介護サービスを利用しながら一人で生きているという現実があります。それが今の日本です。もちろん大変なこともあるでしょうが、子どもがいなくても、周囲の助けを借りながら、介護を受けて生活を送る高齢者の方はたくさんいらっしゃるのです。それを思えば、誰しもが、親の介護を理由に離職する必要はないはずですし、あってはならないと思うのです。

「絶対に介護離職してはならない」と、繰り返し話してくれた酒井氏。今あなたが40代・50代で仮に独身であったなら、ぜひ酒井氏の言葉を胸に留めてほしい。介護に対して少ない知識で、狭い選択肢しか持てない状況のまま、介護離職を選ぶのは、是が非でも避けるべきだ。その先には“ミッシング・ワーカー”という脅威が、待ち受けている。

しかし、やむなくその選択をせざるを得ない時もあるし、現在進行形で介護離職中の方もいる。後編では、介護離職した時に何が起きるのか、そして“ミッシング・ワーカー”状態に陥ってしまった人たちに、何ができるのかを酒井氏に聞く。

[参考文献]

酒井 穣(さかい じょう)

1972年、東京生まれ。慶應義塾大学理工学部卒。Tilburg 大学 TIAS School for Business and Society 経営学修士号(MBA)首席(The Best Student Award)取得。商社にて新規事業開発に従事後、オランダの精密機械メーカーに光学系エンジニアとして転職し、オランダに約9年在住する。帰国後はフリービット株式会社(東証一部)の取締役(人事・長期戦略担当)を経て、独立。介護メディアKAIGO LAB編集長・主筆、新潟薬科大学・客員教授、KAIGO LAB SCHOOL学長、NPOカタリバ理事なども兼任する。2016年には、介護離職の防止と介護業界の待遇改善を目指す株式会社リクシスを創業し、副社長として活動している。

REPORTER

r.c.o.inc.代表。好きな食べ物はナン。好きな女性は飯島愛。好きな言語はJavascript。座右の銘は「もうしょうがない人ねぇ」。

PHOTOGRAPHER
MASATSUGU KANEKO