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この春、火事に見舞われた「新宿ゴールデン街」。筆者がこの街を始めて訪れたのは、大学生の時だ。新宿にまだ、リキッドルームがあった時代である。当時は、「ここで作家と編集者が殴り合いながら酒を飲んでいるのか……」と、ステレオタイプそのままに街を仰ぎ見るばかりで、店に入る勇気はまるでなかったことを覚えている。

しかし、今となっては見慣れた風景の1つだ。何しろ、通勤ルートの合間にあるのだから。そして、見慣れた現在のゴールデン街には、大学時代とは異なる印象を持ってもいる。それは、「圧倒的な無国籍感」である。

5月某日、組合に許可をとって、街中で取材・撮影を行った。開始は夜8時。早い時間帯だが、海外からの旅行客で街はにぎわっている。2009年、「ミシュラン日本版観光ガイド」で2つ星を獲得したゴールデン街は、すっかり観光名所と化した。夜10時を過ぎると、「ちょっと2件目」を求めて日本人も増えるが、街はなお、圧倒的に“無国籍”。英語/フランス語/スペイン語など、さまざまな言語が狭い街に飛び交う。その光景は、「東京の国際化」というキレイな言葉でくくりたくない、カオスでユニークな、「AKIRA」的SF感を持っている。

この街が“ゴールデン”になった歴史

良く「人工的な街」「作られたような街」などというが、ゴールデン街はその真逆だ。「一体どうしたらこんな街になるのか?」と、興味を駆り立てられる。少し歴史を紐解いてみよう。

戦後の混乱期、新宿駅の東側では、闇市“新宿マーケット”が開かれていた。次第に、屋台の一杯飲み屋街が現れ、“竜宮マート”と呼ばれるようになる。しかし、1949年にGHQ(連合国最高司令官総司令部)から露店商の撤廃指示が出されると、“竜宮マート”もその対象に。その移転先が旧三光町一帯、つまり現在の「新宿ゴールデン街」なのだ。時を同じくして、新宿2丁目で露店を営んでいた人々も、この土地に移ってくる。いまではゲイタウンとして知られる2丁目だが、かの地は昔から色街として栄えた場所。そこで露店を営んでいた人々が移り住んできたということは、「つまりそういうこと」である。新宿2丁目は合法売春地帯の“赤線”、旧三光町一帯は非合法売春地帯の“青線”として、2つの街は風俗産業とともに隆盛を迎えた。しかし、どちらも1958年の売春防止法によって衰退。どっと空き家が出た新宿2丁目には様々なゲイ・バーが、旧三光町一帯にはバーやスナックが乱立していくことになる。

1960年代後半になると、作家や編集者、さらには映画や演劇関係者が数多く訪れる街、“ゴールデン街”として知られるようになる。文壇バーで文化人が喧々囂々としている、筆者が若かりし頃に抱いていたあのイメージが、そこにあったわけだ。1976年には、常連であった2人の作家、佐木隆三が直木賞、中上健次が芥川賞を受賞し、「文化人が集まる“ゴールデン街”」というイメージは決定づけられる。

しかし、日本が躍った“バブル”の時代を迎えると、この街には危機が訪れた。地価は高騰し、ゴールデン街も地上げ対象に。時には放火まがいのこともあったというが、ここは眠らぬ街。人通りの少ない深夜でも、酔っぱらいの一人や二人、必ずいる。火の手はすぐに発見されて、毎回大きな被害にはならなかったそうだ。

ほどなくバブルは終焉。不景気な世の中でゴールデン街に残ったのは、空き店舗だった。客足も遠のき、当時はまるでゴーストタウンのようだったという。1996年に街のインフラ整備をスタートさせると、徐々に客足も戻っていった。さらには、1999年に創設された定期借家制度(あらかじめ期間を決めて物件を貸し出せる制度)が、新たな世代を呼び寄せる契機となる。地権者が空き物件を積極的に貸し出したことで、若い経営者がさまざまなコンセプトのお店を出店するようになったのだ。
決して街の再開発事業を受け入れてこなかったからこそ、今となっては他にない魅力を放つゴールデン街。今も独特な街並みを、文化を残し、酒が熟成されるがごとく、深い味わいの文化を残している。

秘密基地で魔法にかかる

撮影を終え、ちょっと一杯と入ったのは、店内の赤い照明が雰囲気のあるバー。6人も座れば満席のカウンター、その奥には、特大の“熊手”があった。新宿花園神社の「酉の市」で購入したものだ。“熊手”は毎年少しずつ大きくしていくものなので、このサイズを購入できるということは……。お店を始めてどれくらい経つのかママに聞くと、「52年」というお答えが。よく見れば、旧百円札や旧5百円札も挟まれている。ゴールデン街で最も古いお店とのことで、いまでも有名政治家や某伝統芸能の役者が訪れるというが、一方で「もう文化人はすっかりいなくなっちゃった。みんな神楽坂で飲んでるんだって。いまは外国人ばっかり」と寂しそうに昔を懐かしんでもいた。

ママと他愛のない話をしていると、若い女の子2人組が恐る恐る入店。就職活動の帰りだという。ゴールデン街を訪れたのは今夜が初めてで、ドキドキしながら店を探していたというが、ママの話術ですっかり打ち解けたのか、後から入ってきた年上のお客とも仲良く飲み交わして、店内はすっかり和気あいあいとなった。

ゴールデン街ならではの魅力を生み出している所以、その1つに店の狭さがある。“秘密基地”のようなこの狭い空間では、個性あふれる店主たちと偶然居合わせたお客が、なぜかすぐに打ち解け、気の合う飲み仲間になってしまうのだ。筆者は以前、年の暮れに訪れたこの街で、「今朝、大阪から来たんですけど、気付いたらここに」という青年と、「京都からさっき一人で東京に来たんですけど、行く当てがないからここに」という女子大生が、2人で仲良く飲んでいるのを羨ましく思ったが(笑)、ここはそういう魔法がかかる場所なのだ。

2件目に訪れた店ではさらにディープな話、少しだけ語れば「男の娘事情最前線」について大変詳しく話を聞けたが、それは割愛しよう。あなたもゴールデン街を訪れて、知らない人と、知らない文化と出会ってほしい。

REPORTER & PHOTOGRAPHER

RYUTA TOMIYAMA
r.c.o.inc.代表。好きな食べ物はナン。好きな女性は飯島愛。好きな言語はJavascript。座右の銘は「もうしょうがない人ねぇ」。