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今年の6月にNHKが放送したドキュメンタリー番組「ミッシング・ワーカー 働くことをあきらめて…」の衝撃は大きかった。“ミッシング・ワーカー”とは、失業後に様々な事情で求職活動をしていない人たちのことを指す、労働経済学上の新しい概念だ。「求職活動をしていない」ので、失業者数にはカウントされず、労働市場からミッシング=消えた存在となっている人々である。

半年にわたる密着ルポなどを通じて、ミッシング・ワーカーたちの実情と問題点を丁寧に映し出したこの番組が放送されると、ツイッター上では「しんどいものを見た」「重い」「絶句した」などの投稿が相次いだ。できることなら、見て見ぬふりをしたいとすら思う“日本の実情”。そのドキュメントは、筆者にとっても衝撃的なものだった。

問題の原因は多岐にわたり複雑だ。例えば、非正規労働者の高齢化。繰り返し転職していく中で、次第に低賃金かつ労働条件の悪い職へと追いやられ、そこに親の介護や自身の病気などが重なると……。求職活動自体を諦めてしまう。働き方、雇用の在り方、社会福祉、独身中高年の増加など、様々な社会問題が絡み合った末に、人生の選択肢が狭まっていくような現象だと感じる。

NHKの番組で取材を受けていたミッシング・ワーカーの方や、その寸前にいた方の状況はより特徴的かつ分かりやすい。“40代・50代”の“独身者”で、“介護離職”を選択した人々。これが1つのパターンになっていたのだ。

親の年金を頼りに、介護生活を続けているミッシング・ワーカーたちは、失業者と比べて社会から見えにくい存在であるため、支援の手が届かぬままに事態は深刻化しつつある。

本企画の前編では、株式会社リクシス副社長、KAIGO LAB編集長の酒井穣氏(今年1月に「ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由」を上梓)に、ミッシング・ワーカーに陥る大きなきっかけとなる介護離職をなぜしてはいけないのか、その理由をお聞きした。後編では、それでも介護離職という道を選択した時に何が起こるのか、そしてミッシング・ワーカーの方々に社会は何ができるのか、語っていただいた。

それでも“介護離職”をした時に何が起こるのか

――酒井さんが強く引き留める“介護離職”という選択肢ですが、もしその選択をすると、何が起きるのでしょうか?

「落ち着いたら再就職すればいい」と考えているなら、とても危険です。一度自分が“介護のリズム”に組み込まれると、そこから抜け出すのはとても難しいのです。自分がいなければ、親の生活が回らないという事態が生まれているからです。四六時中親に付き添っていると、親は子どもに依存します。その依存が深まれば深まるほど、子どもは介護することに疲れ、自分の代わりとなる行政サービスを探す時間も余裕もなくなっていくでしょう。

そもそも、同居して親の介護を行うことで、受けられなくなる行政サービスもあります。例えば「生活援助」がそれです。これは食事の支度や片付け、洗濯や掃除といったことを訪問介護ヘルパーさんにお願いできる制度ですが、自治体によっては「同居家族がいる場合はNG」という場合も多いのです。親との同居は、結果的に人生の選択肢を狭めることに繋がりかねないのです。

――「親孝行できていない」という罪悪感から始まった介護だと、そうした厳しい状況も受け入れてしまうのかもしれません。

罪悪感は「自分が社会規範から外れている」と感じた時に自然発生する感情です。専門的には自己意識的感情といって「このままでは、自分が社会からのけ者にされてしまう」という、自分の生存が脅かされる恐怖としての感情なのです。この帰結は、自分で自分のことを罰するというものになります。具体的には「自分は幸せになってはいけない」と感じるようになるのです。この“罪悪感のスイッチ”が入ると、それまで楽しめていたことも楽しくなくなってしまいます。

例えば、飲み会でお酒を飲んで楽しく話していたとしましょう。そんな時にふと、介護状態にある親の影がよぎるのです。親はつらい状態にあるのに、自分だけ楽しんでいていいのだろうかという罪悪感が湧いてくるでしょう。すると、次から飲み会を断るようになります。そのうち、飲み会自体に魅力を感じなくなって、ついには「行きたくない」とすら思うようになります。どんどんと、幸せから自分を遠ざけるようになってしまうのです。

こういう心理状態で親の介護に臨めば、親も子どもと同じように「子どもにそんな思いをさせて申し訳ない」という罪悪感を覚えるようになります。本当はあれがしたい、これがしたいと思っても、罪悪感から、子どもにそんなことは言い出せなくなってしまいます。

介護者も被介護者も、自らを幸せから遠ざけていく日常になるわけで、これは大変悲惨な日常と言えます。本当は、お互いに自らの幸せを追求することができるのに、お互いに遠慮をして、幸せから遠ざかろうとするのですから。

介護と向き合うために

――NHKのドキュメンタリーに出てきた、「あえて味付けをせずに料理を食べる」方が思い出されました。「美味しいものを食べると、それを求めてしまうから」というのがその理由でしたが、まさに幸せから自身を遠ざける行為です。健康的な精神で介護と向き合うには、どうしたらよいのでしょうか。

理解してほしいのですが、介護の専門職、例えば訪問入浴介護を生業にしているプロであっても、「要介護の方を入浴させる」こと、それ自体に楽しさを感じているわけではありません。

私が学長を勤めるKAIGO LAB SCHOOL(介護のプロに対して、無料で経営学を教えるNPOビジネススクール)には、東大を出て10年以上、介護職をしているという方がいます。東大を出ているような人材が、日々「要介護の方を入浴させる」といった仕事をしています。それはなぜか、疑問に思いませんか?

実は、介護というのは、身体や精神を患って、日常生活を送るのも困難だという人に「生きていてよかった」と感じてもらえることを目的とした、とてもクリエイティブな仕事なのです。この目標を達成する1つの手法が、訪問入浴介護であったり、通所介護であったりすると、多くの人に理解してもらいたいのです。介護はそれだけ、やりがいのある仕事ということです。

介護においては、様々な行政サービスを活用しながら、この「生きていてよかった」という感情をどう生み出すのかを考えていかないとなりません。ただ、入浴や排泄を助けて、消化試合のような日々を送ってもらうことが介護ではないのです。そして、この介護の目標を達成するのは、仕事で押し付けられる理不尽な目標を達成する以上に難しいことです。

――素人には真似のできない仕事にも思えます。その一方で、また、「事件にあったら“弁護士”に相談する」「病気になったら“医者”を頼る」のと同じように、「親の介護はプロに頼む」と素直に思えない人も多いのが実情です。

まず、倒れた親御さん自身がそう思えないことが多いようです。なぜなら、「お風呂やトイレの世話を他人にされるのは嫌だ」と感じるからです。そこに抵抗を持つのは、誰しも当然のことでしょう。それまで自分でできていたことを、知らない人の手を借りなければならない状態に絶望する方もいます。

一方、頼られた子どももまた、「それくらいなら自分にもできるだろう」と思いがちです。しかし、よく考えてください。皆さんは、今の仕事で一人前になるまで、どれくらいの時間を要しましたか? 現場で使えるようになったのは、入社して何年目ですか?

介護には様々なプロが必要です。そのすべてとは言わずとも、親御さんの介護に必要な技能を、知識ゼロから取得するのにどれくらいかかるでしょうか? いきなり、素人ができたりはしないのです。「介護は誰にでもできる」と考えているとするなら、それは大きな間違いです。

最も恐ろしいのは、「介護初心者が親の介護をする」ことで、事態が悪化する可能性です。例えば食事です。飲み込みやすい、のどに詰まりにくい食事を用意するのは当然で、飲んでいる薬に合わせて、食材を変えることも求められます。「入れ歯の噛み合わせ」が原因で、食欲不振に陥るのもよくある事例です。話ができる状態であれば良いのですが、そうでなければ原因が分からないまま時間だけが過ぎて、親がどんどん衰弱してしまうこともあります。そもそも、普通の料理でさえ怪しい人が、こうした高度な調理をできるわけがありません。

――離職してまで介護に専念しようとした結果が、かえって親の健康状態を悪化させてしまうこともあると。

何事もそうですが、介護は特に“知識ゼロ”で望むべきことではありません。良かれと思ってしたことが、逆効果になるという事例はたくさんあるのです。できるだけ親御さんの負担を軽減しようと、家事代行サービスを使った方がいました。確かに、日々の生活は楽になるでしょう。しかし、親御さんは生活の中でやるべきことを失い、結果的には、これが認知症を患うきっかけになってしまったという事例もあります。

仕事でもそうですが、良かれと思って行ったことが、かえって悲惨な結果を生んでしまったことの言い訳はできません。幼い子どもであれば、行動の意図が良いものであれば、叱られないかもしれません。しかし大人であれば、結果に責任が発生します。良かれと思って、素人が介護を担って、結果として親は衰弱してしまったというのも、厳しいようですが、言い訳のきかない失敗でしょう。

――素人判断を避けるためにはどうしたらよいのでしょうか。

ある研究者が、仕事と介護を上手に両立させているビジネスパーソンを調査しています。結果として分かったのは、「優秀なマネージャーは両立上手」ということでした。

ビジネスにおいて、部下や関係会社といった他者を指揮し、管理しながら成果を出すような経験を重ねている人は、親の介護でも、これと同様にうまく人を頼ったり、サービスを使いこなしたりするのです。

とにかく、まずは介護の知識を蓄えることが大事です。知らないことを上手にこなすことは誰にもできません。何事も上手になるためには、優れた指導者が必要です。そのためにも、介護のプロと繋がり、プロの意見やサービスを取り入れてから、様々な判断を行うことが肝要です。

どうすればミッシング・ワーカーに再び自信を持ってもらえるのか

――現在、介護離職中の方に、どんなアドバイスをできるでしょうか?

本人たちも分かっていると思いますが、とにかく、できるだけ早く再就職することです。幸い、今は空前の人手不足にあります。待遇が良くなくても、とにかく就職することが大事だと思います。場合によっては、ボランティアでも構いません。社会との接点を回復することが、なによりも重要なことです。

――NHKの番組内でも、1年以内に再就職できないとミッシング・ワーカーに陥る可能性が高まると取り上げられていました。

再就職については、動き出しが早ければ早い方が良いと考えられています。これは間違いないと思います。一方で、再就職できずにいる間は、生活保護の受給をためらわないでほしいとも思います。親の介護で仕事を失ったのは、決して自己責任ではありません。生活保護受給にまで、罪悪感を覚える必要はありません。後の自立した生活に繋げていく資金として、きちんと生活保護を受けるべきです。

――一方で、就職活動すらできずにいる、ミッシング・ワーカー状態の方々に、社会は何ができるのでしょうか。

「生きていてよかった」と思える瞬間を作るのが介護の仕事だとするなら、それこそ彼ら・彼女らにも“介護”が必要です。親の長い介護を終えていく過程で、社会から取り残されてしまった人に、「自己責任だから自分でどうにかしなさい」というのは、あまりにも酷なことです。それは社会として無責任だと思います。日本は、早急にベーシックインカム導入に向けた議論を開始すべきだと思っています。

介護離職からミッシング・ワーカーに陥ってしまった方は皆、気持ちが弱って、自信を失っている状態です。健康を損なっている方もいます。そんな状態でいきなり、「今月の売り上げ目標は200万円だぞ」なんていう競争意識の高い会社に就職しても、やっていけるわけがありません。

ですから、最初は地域ボランティアに参加するなど、仕事ではないけれども社会に貢献できる何かに取り組んでもらうのもよいと思うのです。そうして、少しずつ自信を回復する段階が必要です。

――“介護の日常”とは異なる世界で、社会に貢献できていると達成感を得てもらう。これは、不登校の子どもや、引きこもりの方が復帰するプロセスに近いものを感じます。

“学習性無力感”という言葉があります。「何をやっても事態が改善しない」という状況が常態化することによって、うつ病のような症状になるわけです。ミッシング・ワーカーの方の多くは、これと似たような精神状態にあると思うのです。

人間社会に限りませんが、世界には競争原理が働きます。競争することによって、企業は強くなるし、より良いサービスや製品が生まれるでしょう。生物も社会も、競争を通して進化していけると思います。それ自体はその通りなのですが、競争からの脱落者も当然生まれてしまうわけです。

動物の世界で脱落したものに待つのは、死です。人間の社会でもそうあるべきでしょうか? もちろん違いますよね。“進化の設計”として人間社会に競争があるのなら、そこから抜け落ちた人をフォローする仕組みもまた、設計に書き加えるべきでしょう。それがなければ、社会は不安定になります。

無力感を覚えている人たちに、どう自信をつけてもらうかは、とても大切なことです。社会に復帰できるよう、どんな道筋を用意していけるのでしょう。これは、今後の日本にとって最大の課題だとさえ思います。

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前編・後編をお読みいただけたのなら、“ミッシング・ワーカー”という脅威が多くの人にとってすぐそばに存在するものだと、ご理解いただけただろう。同時に、その状態に陥った時、そこから脱して新たな生活へと歩みだすことの難しさもまた、感じていただけたと思う。

現代の日本人にとって、身近な脅威となった“ミッシング・ワーカー”。私たちはそこに、どのような解決策を見出せるのだろうか。

“その時”を迎えた私の話

最後に個人的な話を加えさせていただく。筆者は20代後半で父親が倒れ、30代前半で母親が倒れた。両親がともに要介護者となった当時はまだ、独身でもあった。ミッシング・ワーカーに陥る1つの形が、「40代+独身+介護離職」なのであれば、「30代+独身+介護」という組み合わせであった筆者は、危うい状況にあったと思える。

ただ、金銭的に親を頼れない事情があったのと、両親ともに当時60代前半と若く、要介護者とはいえ、老い先長いとも思われたため、必然的に“介護離職”を選択することにはならなかった。しかし、介護初期におけるストレスは人生最大のもので、“離職”というより“自殺したい”気持ちにかられながら毎日を過ごしてもいた。親を殺したいと思ったことは何度もある。数えきれない。殺しはせずとも、肉親に対して「早く死んでくれないかな」と思いながら生きるというのは、まっとうな精神状態と言えない。

年齢的に友人たちは次々と結婚していき、子育てを始めてもいた。ある時、脳出血でまともに会話できない母と面会した後、そのまま友人の結婚式二次会で司会をすることがあった。あれは堪えたなと、たまに思い返す。

時間的にも金銭的にも、先の生活を考えることができないという中で、当時の彼女から結婚をせっつかれ、そうこうしているうちにEDになったりもした。両親の介護をきっかけに、あらゆる方面からストレスに蝕まれていく経験であった。

だから、介護に直面した人がストレスから解放されたいと思うのはよく分かるし、それが「仕事を辞める」選択に繋がるのも理解できる。日々のストレス、その大半を占めるものが仕事だからだ。しかしそれこそが、“ミッシング・ワーカー”へと続く“介護離職”の罠とも言える。

あなたが“その時”を迎えたら、まずは離職以外でストレスを軽減できる方法がないか、考えてほしい。介護休業制度を活用して、仕事をお休みしてもいいし、介護経験者に話を聞いてもらうでもいい。兄弟と助け合うことももちろん必要だ。親族に介護経験者がいれば、きっと心強いだろう。ケアマネージャーほか、頼れる介護のプロたちに出会えれば、ストレスを軽減するための道筋、つまりこれからあるべき生活の形も見えてくる。

離職は確かにストレスを大きく軽減してくれるが、その先に待ち構えているのは、社会からの断絶である。その状態が長く続けば、再就職できないという危機的状態に陥る。そうした社会に問題があると言いたくなるし、社会は変革を求められてもいるが、2018年現在の日本においてはこれが現実。介護離職の先には、より大きなストレスが待ち構えているのだと心得て、“その時”を乗り越えてもらいたい。

同時に、危機的な状態にあるこの現実から目を背けずに、社会全体で課題として向き合いたいとも思う。ミッシング・ワーカーは、少子高齢化や世代間の不公平、労働者不足、働き方改革、都市偏重、自殺率、貧困、社会保障etc. 日本の抱える様々な課題、その集積地のように見えるからだ。政治の場できちんと取り上げられるのか、社会として、一個人として何ができるのか。日本に生きるすべての人が、自分ごととして捉えるべき問題だと思う。

[参考文献]

酒井 穣(さかい じょう)

1972年、東京生まれ。慶應義塾大学理工学部卒。Tilburg 大学 TIAS School for Business and Society 経営学修士号(MBA)首席(The Best Student Award)取得。商社にて新規事業開発に従事後、オランダの精密機械メーカーに光学系エンジニアとして転職し、オランダに約9年在住する。帰国後はフリービット株式会社(東証一部)の取締役(人事・長期戦略担当)を経て、独立。介護メディアKAIGO LAB編集長・主筆、新潟薬科大学・客員教授、KAIGO LAB SCHOOL学長、NPOカタリバ理事なども兼任する。2016年には、介護離職の防止と介護業界の待遇改善を目指す株式会社リクシスを創業し、副社長として活動している。

REPORTER

r.c.o.inc.代表。好きな食べ物はナン。好きな女性は飯島愛。好きな言語はJavascript。座右の銘は「もうしょうがない人ねぇ」。

PHOTOGRAPHER
MASATSUGU KANEKO