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New YorkerにLondoner、Parisien&Parisienneに老北京人。大都市には、そこに住む人々の愛称がある。ならば、東京に住む人々を「東京人」と呼ぶかと言われれば……、答えはNO。あえて該当する言葉を探すなら、それは「江戸っ子」となる。
しかし、「江戸っ子は、三代続いて江戸生まれ」というように、東京に住む人々すべてを「江戸っ子」とは呼べない。祖母まで「江戸っ子」だが、埼玉で産湯につかった筆者なんて、とてもとても……。実際、いわゆる“江戸っ子気質”が自分に当てはまるとも思えない。いわく、金離れ良く細かいことにはこだわらず、意地っ張りで喧嘩っ早く、議論は苦手で人情家、普段はダジャレばかり言っているが、ときに涙もろくて正義感。映画「男はつらいよ」の寅さん、マンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両さんがその代表格だろう。
しかし、「寅さんと両さんが東京を代表するキャラクターだ」と言われたら、One of themだけど、Typicalじゃない。やはり「江戸っ子」と「東京人」をイコールで結ぶのは難しいのだ。ならば、東京に住む多くの「江戸っ子ではない人たち」を、どう定義すればいいのだろうか?
2020年は“東京人”という言葉を獲得するチャンスに?
当然、渋谷と新宿、恵比寿と秋葉原では、街の雰囲気が異なるし、そこに集まる人たちも違う。すべてを一括りにして「東京人」の姿を探るのはとても難しい試みだ。一定のイメージなんてない……と諦めたいが、簡単に諦められない人たちもいた。リオの夏季オリンピック・パラリンピック閉会式で、東京大会のプレゼンテーションを任された人たちである。
ご存知の方も多いだろう。あのパフォーマンスを手掛けた主なクリエイターは4人。数多くの広告作品を手掛けるシンガタの佐々木宏、そして椎名林檎がクリエイティブ・スーパーバイザーとして名を連ねた。椎名林檎は音楽監督も兼務している。クリエイティブ ディレクターには、電通で“クリエイティブ・テクノロジスト”という肩書を持つ、菅野薫。総合演出と演舞振付は、PerfumeやBABY METALを手掛けるMIKIKOだ。日本らしさ、東京らしさを議論した彼らが導き出した答え、それはニンジャ・サムライ・ゲイシャではない日本の姿、東京の姿だった。
例えば前半、様々な競技を躍動的に見せていく場面。スピーディなカット割り、選手たちの“無表情”とも取れる真剣な姿の背景に、東京の夜景が映る。その後、中田ヤスタカがBGMを、ライゾマティクスがARを担当した未来的なダンスパート前半が終わり、フィールドに映しだされたのもまた、東京の夜景だ。椎名林檎の曲が流れる終盤パートは、応援団、拍手、手旗信号でのありがとう、さらには礼儀作法を取り入れた椎名&MIKIKOらしい「おもてなしの舞」で魅せる。ファッションも秀逸で、現代的だが日本の伝統も感じさせた。一糸乱れぬダンスは、前半に登場したスポーツ選手たちと同じく無表情で機械的だが、なぜか個性的でオリエンタルに映る。
そこには、東京に住む人たちが“なりたい東京”の姿があった。「シンプルで礼儀正しく、伝統を大事にしながら前に進め、精密・緻密にルールを守り、スピーディかつ躍動的で、未来的なテクノロジーとユーモアを携えた、夜景が美しい街、東京」である。“手前味噌”ながら、Z TOKYOが標榜する「NEO TOKYO」、その世界観がそこにあったと感じた。
しかし、いまの東京がこの通りなのかと言われたら……。例えば東京のナイトライフは本当に楽しめるものになっているだろうか? ミーシャ・ジャネットのコラム「東京には“夜の市長”が必要か!?」へ、その論考は委ねよう。
いずれにせよ、2016年、東京は東京のイメージを世界にこうして発信した。このイメージを、2020年に体言出来たら、僕らはNew Yorkerのように、“東京人”という言葉を獲得できるのかもしれない。