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世界は死に溢れている。スマートフォンのニュースアプリは、毎日どこかで大勢の人が悲惨な死を遂げていると、絶えず通知する。SNSで知り合いが増えるほど、その中の誰かが、もしくは誰かの大事な人が亡くなったという投稿に接する機会が増えていく。

“死”は、かつてないほど身近になった。

死が生むもの

友人は今年、妻を亡くした。がんが見つかってから1年もたなかった。まだ30代半ば。若かった。死の間際、何時間かに1度、意識を取り戻す……という状態で彼女が探し求めたものは、「カッターナイフ」だった。目的は、「死なせてほしい」。同時に夫へ残した言葉がある――、「いままで楽しかった」だ。幸せだから、死なせてほしい。そんな瞬間があるのだと知った。そして友人は捕らわれる。「あの時何ができたのだろう」という後悔の念に。

別の友人は、昔NYで死にかけた。ルームシェアをしていた部屋でHold Upにあったのだ。目的は強盗。友人とシェア仲間を、犯人は包丁で刺した。ルームシェア相手は死に、筆者の友人は助かった。生き残った彼に、ルームシェア相手の家族から向けられた目線は、複雑だ。実際にそう言われたわけじゃない。でも、聴こえる。「ウチの息子でなく、なぜ君なんだ?」と。死は残されたものにトラウマを残す。

筆者は会社を経営している。数年前、愛嬌のある新卒の女子が入社してきた。デザイナーの父を持ち、本人は編集者志望。入社してすぐ、ある撮影でディレクションを任せてみた。初めてだというのに、驚くほどの構成感覚と色彩感覚を見せる。クライアントにも好かれ、育てていけば大成すると感じたが、その1年半後にあっけなく死んでしまった。1か月前に出来たという彼氏(ともいえないような相手)との恋愛に悩み、お酒を飲み過ぎて、悪ふざけのようにして。筆者はその彼氏を憎んだ。名前を探り当て、SNSをほじくり返した。あいつにどんな思いをさせた、家はどこだ、奴はどこに出没する……。死は憎しみを生む。

続・死が生むもの

身近になったとき、死は魅力的だ。死の話題に頭を奪われ、そればかり考えてしまう。死んでいった相手にあの時何ができた? 残された自分にできることは? 自分は生きる価値があるのか……。

ぐるぐるぐるぐると、頭を“死の話”が駆け巡る。朝も昼もなく巡り、夜になれば“ぐるぐる”は加速する。それに捕らわれると、「自分も死にたい」「死ぬ場所を見つけたい」と、そんなことばかり考えてしまう。最悪の場合、“誰かを殺したい”につながるかもしれない。

そしていま、“死の話”という誘惑は、スマホへ通知されるようになった。“目覚ましをかけたスマホのアラームを止めるとき”に、大量殺人事件や悲惨なテロ、そうしたもののヘッドラインニュースに一瞬接してから目覚める時代だ。目覚めて5秒で、死の話題に接するのが日常? クレイジーとしか言いようがない。

後悔、怒り、憎しみ、悲しみ。死はさまざまなものを生む。件のスタッフが亡くなった直後、筆者は思い悩んだ相手=彼氏への憎しみや、彼女に対する後悔の念に捕らわれた。食事ができない日も続き、体重は落ちていくばかりだった。

そこから脱したのは、彼女のお母さんに誘われてご自宅を訪問した時のこと。写真やビデオで、家族の幸せな姿を拝見していく。そこには、いつも楽しそうな、笑顔の女の子が映っていた。家族って良いな、そう思える思い出たちに触れ、帰宅する頃には「自分も家族を持ちたい」と思うようになっていた。“生”に心が動いたのだ。

あれから約2年。筆者は今年、結婚した。来年、新たな命を授かる。こんな言い方をしていいかわからないが、彼女の死は私の中で、新たな命に繋がったわけだ。死は、後悔や憎しみだけでなく、命も生む。

“死”がスマホに通知される現代、私たちは日々たくさんの“死”に接しながら、そこに何を見出すのだろうか。たくさんの“死”から、何が生まれるのだろうか。

REPORTER & PHOTOGRAPHER

RYUTA TOMIYAMA
r.c.o.inc.代表。好きな食べ物はナン。好きな女性は飯島愛。好きな言語はJavascript。座右の銘は「もうしょうがない人ねぇ」。