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日本の音楽シーンにおいて、ヒップホップが盛り上がりを見せている。……といっても、音源の売り上げが特別に伸びているのではない。人気を博しているのは、ラッパー(MC)同士が1対1で舌戦を繰り広げるMCバトルだ。
ブームの火付け役の1つは、MCバトル文化をヒップホップ初心者にも分かりやすい“エンターテインメント”として視聴者に提示したテレビ番組、「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日)だろう。DJが流すビート(楽曲)に合わせて、8or16小節のフリースタイル(即興)ラップで相手をディスる(侮辱する)MCの姿を見たことがある人も多いはずだ。
かつてはヤンチャな若者の音楽と認識されがちだったヒップホップ。しかし、MCバトルの人気は“ビジネスマン”の間にも広がりつつある。その裏付けともいえるのが「ビジネスマンラップトーナメント(以下BRT)」というMCバトルイベントだ。
その名が示す通り、出場者のほとんどは現役の社会人。MCバトルは名刺交換から始まる。“コンサルティング”や“コンプライアンス”といったビジネス用語で押韻してスキルを競う様子は、ある種ディベート的でもある。「官僚VS官僚」「東証一部VSベンチャー」「下請けVS元請け」など、因縁めいた対戦カードも魅力的だ。
これまでにコラボイベント合わせて7回の開催を重ね、出場したMCは総勢50名以上。総来場者数も500名を超えた。とどまることなく勢いを増す「BRT」の魅力に迫るべく、創始者の一人でMCとしても活動する真野勉(まのつとむ)a.k.a MAD BENN氏に話を聞いた。
Q.はじめに、「BRT」立ち上げのきっかけから教えてください。
僕自身、大のヒップホップ好き。エミネムやジェイ・Zといったラッパーに憧れ、高校時代からラップの曲作りに勤しんできました。でも、社会に出るとそういった経験を持つ人間はマイノリティなんです。そこで、昨今のヒップホップブームに乗っていく仲間を募るために、「ラップ好きの社会人飲み会」を開いたことが最初のきっかけでした。
Q.その集まりから、イベントに発展したのですね。
その通りです。ここで集まった仲間と企画したのが、今年3月に開催した第1回目「BRT」でした。当初はDJプレイの“おまけ”として、イベントにMCバトルを組み込んでいましたが……。おまけのはずだったMCバトルは、予想を超える大盛況。これを契機に「このムーブメントを絶やしてはいけない!」と思い立ち、イベントを定例化していきました。
Q.NGワードなど、「BRT」ならではのルールも多いですよね。
異業種交流を兼ねていることもあり、ビジネスの現場で使われない言葉は原則使用禁止としています。F**Kといった“気品に欠く言葉”やいわゆる“下ネタ”ですね。それに加えて、名刺交換からバトルが始まるところも「BRT」ならではでしょう。
Q.「BRT」が縁となり、出場者の間でビジネスに発展した例はありますか?
実例を挙げて話しにくいところもありますが、ビジネスに発展するケースは多いようです。僕自身、経営している会社の営業を出場者の方に手伝っていただいたことがあります。本音でぶつかり合うMCバトルの後だからこそ、自然と腹を割って話せる関係になり、ビジネスが円滑に進みやすくなるのでしょうね。
Q.これまでの中で、印象的だった対戦カードを教えてください。
この質問、とても悩みます……(笑)。本当に全てのバトルがドラマティックなんです。いつ観ても面白いのは、イベント優勝者が次の開催時にのぞむ初戦でしょうか。期待値とプレッシャーのせいか、高いスキルを持つ人でも不思議と負けてしまうんです。勝利の鍵は、場の雰囲気に飲まれず審査員や観客を巻き込む“プレゼン力”なのかもしれません。これを磨くためにも、「社会人にこそラップが必要だよ」と言いたいです(笑)。
Q.イベントを通じて、実現したいビジョンはありますか?
誤解を恐れずに言うと、ヒップホップをいわゆる“不良”の手から取り戻すことです。日本におけるヒップホップの課題として、一般に悪いイメージを与えすぎているところがありますよね。「BRT」を続けることで、ヒップホップが市民権を得られるようにしたいと望んでいます。友人同士で草野球をするように、“草ラップ”を楽しめる世の中になれば嬉しいですね。
真野勉 a.k.a MAD BENN
1987年東京都生まれ。「BRT」全体責任者。イベント運営の指揮をとりつつMAD BENN名義でMCバトルに参加して大きな注目を集める。自身で立ち上げた株式会社SUPER STUDIOのCOOとして経営・営業・広報まで幅広く携わる、生粋のビジネスマンとしての一面も持つ。
PHOTOGRAPHER
NARUHIRO KASAMO